2009年05月05日

「沼津海軍工作学校」

今月上旬に全戸配布された議会だより142号の
最終面「そこんとこ教えて!!」のコーナーで取り上げた
「沼津海軍工作学校」を掲載。
http://www.kakitagawa.tv/shimizu-t/kurashi/gikai/gikaidayori.htm

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(町民)
清水町に昔、海軍の施設があったって聞いたけど?

(議員)
まだ清水村だった昭和19年、現在の静岡医療センター周辺に横須賀海軍工作学校沼津分校が、外原に海軍施設本部実験所という施設ができました。

(町民)
どうして清水村にできたの?

(議員)
当初は、沼津海軍工廠など海軍の施設があった沼津市に設置される予定でしたが、これに驚いた沼津市議会正副議長が海軍に対して陳情交渉を行った結果、清水村へつくられることになりました。
用地買収にあたっては、関係者に対して半ば強制的に買収され、外原に住んでいた五軒の家は、徳倉に強制的に移転させられました。

(町民)
沼津海軍工作学校ってどんな学校なのかな?

(議員)
 総敷地面積五五・九ヘクタール、6つの兵舎で三千人が収容可能でした。学校では航空機修理関係と築城施設関係の教育が行われました。
 各海兵団出身者と横須賀海軍工作学校からの転勤者や、朝鮮志願兵として韓国鎮海海兵団からの入隊などがありました。また、女子挺身隊が作業に励んでいました。

(町民)
どうして工作学校が必要だったの?

(議員)
太平洋戦争で米軍がブルドーザーやパワーショベルなどの土木機械を駆使して陣地や飛行場を瞬く間に仕上げていました。
日本海軍も機械化土木部隊の必要性を痛感しました。
また、海戦ではおびただしい艦船や航空機の損傷が発生していて、応急工作員を大量に養成する必要がありました。

(町民)
その後、海軍工作学校はどうなったの?

(議員)
 戦局が悪化し、学生の大半は本土決戦に備えた特攻基地建設のためのトンネル掘りや軍需工場に狩り出されました。
 昭和20年7月15日、開校からわずか1年2カ月で工作学校は閉鎖となりました。
 横須賀海軍施設の一部として開設された沼津海軍工作学校は、昭和20年10月に戸塚海軍病院沼津分院となり、12月には厚生省へ移管、国立戸塚病院沼津分院として発足しました。
 その後、昭和42年4月に国立三島病院と統合して国立東静病院となり、現在の静岡医療センターとなりました。
 清水町に地域の中核となる病院があるのは、過去にいろんな経緯があったことを忘れてはいけませんね。

【参考資料】
清水町史
コミュニティながさわ



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Posted by 清水町議会議員 松浦俊介 at 15:54 │議会関連

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