2021年10月07日
<すぎやまこういちさん>敗血症性ショックのため死去 90歳 『ドラクエ』音楽など
下記、オリコン
***
すぎやまこういちさん、敗血症性ショックのため死去 90歳 『ドラクエ』音楽など
10/7(木) 15:17配信 オリコン
人気ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズの音楽で知られる作曲家・すぎやまこういち(本名・椙山 浩一=すぎやま・こういち)さんが9月30日、敗血症性ショックのため亡くなった。90歳。7日、スクウェア・エニックスの『ドラゴンクエスト』公式サイトで伝えられた。
すぎやまこういちさんのプロフィール
同サイトでは「作曲家のすぎやまこういち氏(本名:椙山 浩一)が、2021年9月30日、敗血症性ショックのため逝去されました。90歳でした」と報告。
続けて「すぎやまこういち氏は長年にわたり、弊社ゲーム作品『ドラゴンクエスト』シリーズの音楽を手がけ、シリーズの発展に寄与されました。故人は『ドラゴンクエスト』シリーズの500曲以上に及ぶ楽曲のすべてをおひとりで作曲されており、制作中の『ドラゴンクエストXII 選ばれし運命の炎』の作曲が最後のお仕事となりました」とすぎやまさんの功績を振り返った。
その上で「これからも共にご制作いただきたく思っておりましたので、誠に残念でなりませんが、『ドラゴンクエスト』の音楽は永遠に皆様の記憶の中にあり、『ドラゴンクエスト』のゲームの世界でいつまでも生き続けてまいります。すぎやまこういち氏の生前のご功績に対する心からの敬意と感謝とともに、謹んで哀悼の意を表します」と偲んでいる。
すぎやまさんは1931年4月11日生まれ。東京都出身。高校在学中より、各種の作品を書き始める。大学卒業後、文化放送に入社。1958年にフジテレビ入社。ディレクターとして『おとなの漫画』『ザ・ヒットパレード』『新春かくし芸大会』など、多くの番組の演出を手掛ける傍ら、作曲家としても活動を始めた。1965年に同局を退社後、フリーのディレクターとしてフジテレビの番組を演出し、作曲活動に専念。『ドラゴンクエスト』シリーズのほか、中央競馬のファンファーレ「KING OF TURF」などでも知られる。
『ドラゴンクエスト』の楽曲は、今年開催された東京五輪開会式の各国入場行進曲で「序曲:ロトのテーマ」が使用され、大きな話題を呼んた。
***
子どものころ、ドラゴンクエストの音楽を聴いた時の胸の高鳴り、ワクワク感は、
今も忘れられないし、
オリンピックの入場行進で聞いたときは、
とても誇らしく思った。
中央競馬のファンファーレも含め、
すぎやまこういちさん、素敵な音楽をありがとうございました。
***
すぎやまこういちさん、敗血症性ショックのため死去 90歳 『ドラクエ』音楽など
10/7(木) 15:17配信 オリコン
人気ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズの音楽で知られる作曲家・すぎやまこういち(本名・椙山 浩一=すぎやま・こういち)さんが9月30日、敗血症性ショックのため亡くなった。90歳。7日、スクウェア・エニックスの『ドラゴンクエスト』公式サイトで伝えられた。
すぎやまこういちさんのプロフィール
同サイトでは「作曲家のすぎやまこういち氏(本名:椙山 浩一)が、2021年9月30日、敗血症性ショックのため逝去されました。90歳でした」と報告。
続けて「すぎやまこういち氏は長年にわたり、弊社ゲーム作品『ドラゴンクエスト』シリーズの音楽を手がけ、シリーズの発展に寄与されました。故人は『ドラゴンクエスト』シリーズの500曲以上に及ぶ楽曲のすべてをおひとりで作曲されており、制作中の『ドラゴンクエストXII 選ばれし運命の炎』の作曲が最後のお仕事となりました」とすぎやまさんの功績を振り返った。
その上で「これからも共にご制作いただきたく思っておりましたので、誠に残念でなりませんが、『ドラゴンクエスト』の音楽は永遠に皆様の記憶の中にあり、『ドラゴンクエスト』のゲームの世界でいつまでも生き続けてまいります。すぎやまこういち氏の生前のご功績に対する心からの敬意と感謝とともに、謹んで哀悼の意を表します」と偲んでいる。
すぎやまさんは1931年4月11日生まれ。東京都出身。高校在学中より、各種の作品を書き始める。大学卒業後、文化放送に入社。1958年にフジテレビ入社。ディレクターとして『おとなの漫画』『ザ・ヒットパレード』『新春かくし芸大会』など、多くの番組の演出を手掛ける傍ら、作曲家としても活動を始めた。1965年に同局を退社後、フリーのディレクターとしてフジテレビの番組を演出し、作曲活動に専念。『ドラゴンクエスト』シリーズのほか、中央競馬のファンファーレ「KING OF TURF」などでも知られる。
『ドラゴンクエスト』の楽曲は、今年開催された東京五輪開会式の各国入場行進曲で「序曲:ロトのテーマ」が使用され、大きな話題を呼んた。
***
子どものころ、ドラゴンクエストの音楽を聴いた時の胸の高鳴り、ワクワク感は、
今も忘れられないし、
オリンピックの入場行進で聞いたときは、
とても誇らしく思った。
中央競馬のファンファーレも含め、
すぎやまこういちさん、素敵な音楽をありがとうございました。
2019年08月14日
K4-GP
昨日と今日は、毎年恒例行事の富士スピードウェイで行われる
軽自動車の耐久エコランのK4-GPである。
ススキの鈴木修会長から頂いたアルトで
私は、RCパラシューターのメンバーとして2006年から参戦。
昨日は、5時間耐久500km、今日は10時間耐久1000km。

昨日の5時間耐久500㎞は、
自由民主党モータースポーツ振興議員連盟の皆さんが仲間となってエントリー。
今年で4回目である。
会長の古屋圭司代議士、 大岡敏孝代議士、秋本真利代議士、青山繫晴参議院議員、
そして元F1レーサーの山本左近氏が参戦。
500㎞は、午後1時スタートで6時まで。
車輌は、今年、自民党モータースポーツ議連使用のアルトを新調。
最初に山本左近氏、秋本代議士、大岡代議士さん、古屋会長、青山参議院議員、
最後にまた山本氏となった。
500㎞のエントリーは全部で90台。
自民党チームは、順調に周回を重ね、
特にトラブルもなく総合で9位、クラス4位のという結果でゴールした。
やっぱり車を新調し、山本氏が参戦し、
完走が目標だったのが、表彰台が狙えるところまできた。
先生方は、あくまでもプライベートで参加しているが、
富士スピードウェイ関係者の方など挨拶に来ていた。
さて、今日の1000㎞だが、
朝、8時スタートで午後6時までの10時間のエコラン。
6人で100分ずつ走ることになった。

私は、3番目の午後11時20分から走る。
天気は、朝から土砂降りの雨が降り、
たびたびセーフティカーが入り、
追い越し禁止の状態が続いた。
私の走っているときも
かなりの雨が降り、セーフティカーが入ったり、
イエローフラッグが降られた。
バックミラーを見ると後ろでスピンしている車、
目の前のカーブでスピンしている車など
これまで以上にスピンしたり、
コースアウトしている車を見た。
今までで一番ひどい雨だったかもしれない。
直線では、フォーミュラカーみたいなタイヤむき出しのクルマは、
水しぶきがブラインドになって前の様子が分からなくなる。
最初のコーナーの距離感がつかめず
非常に走りにくかった。
今回のエントリーが全部で121台。
自然吸気のNAエンジン部門のGP2クラスが49台だった。
最終順位は、総合35番クラス12番で無傷完走。
軽自動車の耐久エコランのK4-GPである。
ススキの鈴木修会長から頂いたアルトで
私は、RCパラシューターのメンバーとして2006年から参戦。
昨日は、5時間耐久500km、今日は10時間耐久1000km。
昨日の5時間耐久500㎞は、
自由民主党モータースポーツ振興議員連盟の皆さんが仲間となってエントリー。
今年で4回目である。
会長の古屋圭司代議士、 大岡敏孝代議士、秋本真利代議士、青山繫晴参議院議員、
そして元F1レーサーの山本左近氏が参戦。
500㎞は、午後1時スタートで6時まで。
車輌は、今年、自民党モータースポーツ議連使用のアルトを新調。
最初に山本左近氏、秋本代議士、大岡代議士さん、古屋会長、青山参議院議員、
最後にまた山本氏となった。
500㎞のエントリーは全部で90台。
自民党チームは、順調に周回を重ね、
特にトラブルもなく総合で9位、クラス4位のという結果でゴールした。
やっぱり車を新調し、山本氏が参戦し、
完走が目標だったのが、表彰台が狙えるところまできた。
先生方は、あくまでもプライベートで参加しているが、
富士スピードウェイ関係者の方など挨拶に来ていた。
さて、今日の1000㎞だが、
朝、8時スタートで午後6時までの10時間のエコラン。
6人で100分ずつ走ることになった。

私は、3番目の午後11時20分から走る。
天気は、朝から土砂降りの雨が降り、
たびたびセーフティカーが入り、
追い越し禁止の状態が続いた。
私の走っているときも
かなりの雨が降り、セーフティカーが入ったり、
イエローフラッグが降られた。
バックミラーを見ると後ろでスピンしている車、
目の前のカーブでスピンしている車など
これまで以上にスピンしたり、
コースアウトしている車を見た。
今までで一番ひどい雨だったかもしれない。
直線では、フォーミュラカーみたいなタイヤむき出しのクルマは、
水しぶきがブラインドになって前の様子が分からなくなる。
最初のコーナーの距離感がつかめず
非常に走りにくかった。
今回のエントリーが全部で121台。
自然吸気のNAエンジン部門のGP2クラスが49台だった。
最終順位は、総合35番クラス12番で無傷完走。
タグ :K4-GP
2018年08月14日
K4-GP
昨日と今日は、毎年恒例行事の富士スピードウェイで行われる
軽自動車の耐久エコランのK4-GPである。
ススキの鈴木修会長から頂いたアルトで
私は、RCパラシューターのメンバーとして2006年から参戦。
昨日は、5時間耐久500km、今日は10時間耐久1000km。
昨日の5時間耐久500㎞は、
自由民主党モータースポーツ振興議員連盟の皆さんが仲間となってエントリー。
今年で3回目である。
会長の古屋圭司衆議院議会運営委員長、 大岡敏孝元財務政務官に今年は、青山繫晴参議院議員が参戦。
そして、古屋先生の地元恵那市長の小坂喬峰氏の4人のチーム。
青山先生は、朝、8時に虎ノ門ニュースに出演していて、
K4-GPへの参戦は、断っていたが、
古屋先生の度重なるお願いに断り切れなくなって
今回、初めてドライバーになってくれた。
(冒頭、K4-GPについて触れている)
実は、昨年もお誘いしていて
去年の7月の練習走行には来てくれてクルマには乗っていただいている。
その時もかなり楽しんでいたように見受けれた。
500㎞は、午後1時スタートで6時まで。
青山先生は、10時まで生放送で
その後、11:03の東京発ひかりで11:47三島駅着。
私と元国会議員秘書の方で富士スピードウェイから迎えに行く。
天気は、晴れ時々曇りくらいだったが、
途中、裾野市付近で猛烈な豪雨となった。
その後、長泉町まで来るといい天気になった。
三島駅に着くと
青山先生は、息子さんと来てくれる。
私が運転をして一路、富士スピードウェイへ。
青山先生は、以前、よく富士スピードウェイで自分のスポーツカーで走りに来ていて、
いろいろクルマのことについて私に質問をしてくれるが、
私は、あまりよくわかっていないのでちゃんと答えられない。
来る途中、すごい雨でしたと言うと
「自分は、雨なら絶対に走らない」と天候を気にされている様子だった。
到着したのが、スタートの10分前くらい前だった。
車輌は、今年も自民党モータースポーツ議連使用のアルトで出場。

大岡さん、古屋先生、小坂市長、青山先生と30分毎、
2回ずつ走ることになった。
500㎞のエントリーは全部で78台。
自民党チームは、順調に周回を重ね、
特にトラブルもなく全体で23位でゴールした。

先生方は、あくまでもプライベートで参加しているが、
富士スピードウェイ関係者の方など挨拶に来ていた。
古屋先生は、話をしているとほんとにクルマが好きなんだというのが伝わってくる。
6月に今回のエントリーの打ち合わせで当チームRCパラシューター代表のKさんと
国会議員会館へ行ったのだが、
古屋先生から来年、11月に開催される世界ラリー選手権について
その誘致に尽力した話を聴く。
世界ラリーは、岐阜県、愛知県で開催さるとのことである。
さて、今日の1000㎞だが、
朝、8時スタートで午後6時までの10時間のエコラン。
今年は、燃料が65Lと過去最少。
去年が85Lで20Lも少なくなった。

それ以前は、100L以上だったこともあり、
これまで以上に燃費が要求される。
例年、2台で走り、
自民党アルトをエンジョイチーム、12年前から使っているアルトで優勝を目指す本気チームで参戦していたが、
今年は、自民党アルト1台で参戦。
6人で100分ずつ走ることになった。
私は、4番目の午後1時から走ることになったが、
私の後にもう一人走ることになり、私は50分走ることになった。
走り出して1週目の終盤にイエローフラッグが出た。
クルマを減速し、抜かすことなく隊列で走っていると
横転している車があった。
それから4~5周セーフティーカーの先導で走り、
第1コーナーをまわった後、
青ランプが点灯。
一斉にスピードが上がり、
団子御状態でしばらく走る。
非常に走りにくい状態で数週走ったら
今度は、シケインからの上り坂で何度かガクンときた。
私が50分走ったらガソリンスタンドで給油することになっていたが、
すでに燃料もなくなってきていると感じて
30分ほどしか走っていなかったが、
ガソリンスタンドへ行って給油してもらうことにした。
燃料は、最初に30L、2回目に15L、そして最後に20L入れることになっていて、
私は、最後の20Lを入れた。
予定より早く帰ってきて交代したが、
特にトラブルもなくてよかった。
早い人は、うちのクルマで1周2分40秒ほどで走るが、
私は3分ほどで走っていた。
まぁ、セーフティーカーが入った後だから仕方ないかな。
団子状態じゃなかったら、
もう10秒くらいは早く走れたような気がする。
今回のエントリーが全部で141台。
自然吸気のNAエンジン部門のGP2クラスが61台。
午前中一時クラス6位、全体で20位くらいまで上がるが、
私の時でクラス20位くらいまで下がる。
今日の天気は、晴れでとても暑かった。
クルマは締め切っていて、もちろんクーラーついていないので
クルマを下りると汗びっしょりだった。
特に、お尻が一番濡れていた。
その後、順調に周回を重ねるが、
燃料がなくなってきて
5時前にピットイン。
6時のゴール10分前くらいに再びコースの戻るが、
222周走った1位のクルマが通過した最後の周でコース上でガス欠となってしまった。
うちのチームは173周だった。
燃料不足は、残念だったけど
今年は、特にトラブルもなく
みんな走れてよかった。
下記、1月のベストカーWeb
*********
世界ラリー選手権(WRC)、2019年に日本開催へ!
2018年1月12日 / モータースポーツ
■開催は2019年11月、愛知・岐阜で!
2018年1月12日、幕張メッセで開催されている「東京オートサロン2018」にて、FIA WRC(FIA世界ラリー選手権)日本ラウンド招致準備委員会の設立が発表された。
開催予定地は愛知・岐阜の両県を含む中部地域で、競技やイベントの中心施設は愛・地球博記念公園(通称モリコロパーク)。
招致準備委員会によると、今後のスケジュールは2018年夏頃にJAFからFIAへと申請が上がり、同年11月に開催予定地にてリハーサルイベントを開催、12月にFAIの国際競技カレンダーへ掲載されることで正式な開催決定となる。
イベント日程は2019年11月を予定。
FIA WRCは、F1やWECなどと並ぶ世界最高峰の自動車競技シリーズとして長い歴史を持つ。招致が決定されれば、日本での開催は10年ぶりとなる。
■自民党モータースポーツ振興議員連盟会長よりコメント
招致準備委員会の設立にあたり、自民党の古屋圭司議員より、以下のメッセージが届けられた。
「このたびは、世界ラリー選手権(WRC)日本開催準備委員会が設立され、WRCをふたたび日本で開催するべく、その活動がスタートしたとのこと、おめでとうございます。
私は岐阜県の恵那市の出身であり、また自由民主党モータースポーツ振興議員連盟の会長も務めさせていただいております。それだけに、WRCを私の地元の中部地域で開催したいという活動は、私自身の期待を二重にふくらませてくれるものです。
ご存知のように、昨年来トヨタ自動車がWRCへの挑戦をスタートしておりますが、愛知、岐阜を中心とした中部エリアには、ラリー開催のためのしっかりとした土壌があります。
日本は世界有数の自動車輸出大国であり、自動車産業は日本経済の一端をしっかりと担っています。自動車に関わる就労人口も直接・間接を含めると500万人を超えるという推計もあります。その一方で、モータースポーツが文化としてしっかり国民に浸透しているかというと、決してそうではありません。
昨年のインディ500マイルで優勝した佐藤琢磨選手は、一夜にしてアメリカのスーパースターとなり、大きな名誉と莫大な賞金を手にしました。ヨーロッパでは国王や国家元首がF1グランプリの観戦に訪れる機会も多く、また公共インフラである一般公道を封鎖してのレースも数多く開催されています。こうしたことが可能なのは、欧米ではモータースポーツ文化が歴史に根ざし、しっかりと育まれてきたからでしょう。
WRCの日本開催を実現することで、モータースポーツ文化をさらに定着させて行くことができれば、日本における自動車産業はさらに活性化するでしょう。
2019年、WRC日本開催が実現することを、わたくしも議員連盟の会長として、またいちファンとしても待ち遠しく感じています」
軽自動車の耐久エコランのK4-GPである。
ススキの鈴木修会長から頂いたアルトで
私は、RCパラシューターのメンバーとして2006年から参戦。
昨日は、5時間耐久500km、今日は10時間耐久1000km。
昨日の5時間耐久500㎞は、
自由民主党モータースポーツ振興議員連盟の皆さんが仲間となってエントリー。
今年で3回目である。
会長の古屋圭司衆議院議会運営委員長、 大岡敏孝元財務政務官に今年は、青山繫晴参議院議員が参戦。
そして、古屋先生の地元恵那市長の小坂喬峰氏の4人のチーム。
青山先生は、朝、8時に虎ノ門ニュースに出演していて、
K4-GPへの参戦は、断っていたが、
古屋先生の度重なるお願いに断り切れなくなって
今回、初めてドライバーになってくれた。
(冒頭、K4-GPについて触れている)
実は、昨年もお誘いしていて
去年の7月の練習走行には来てくれてクルマには乗っていただいている。
その時もかなり楽しんでいたように見受けれた。
500㎞は、午後1時スタートで6時まで。
青山先生は、10時まで生放送で
その後、11:03の東京発ひかりで11:47三島駅着。
私と元国会議員秘書の方で富士スピードウェイから迎えに行く。
天気は、晴れ時々曇りくらいだったが、
途中、裾野市付近で猛烈な豪雨となった。
その後、長泉町まで来るといい天気になった。
三島駅に着くと
青山先生は、息子さんと来てくれる。
私が運転をして一路、富士スピードウェイへ。
青山先生は、以前、よく富士スピードウェイで自分のスポーツカーで走りに来ていて、
いろいろクルマのことについて私に質問をしてくれるが、
私は、あまりよくわかっていないのでちゃんと答えられない。
来る途中、すごい雨でしたと言うと
「自分は、雨なら絶対に走らない」と天候を気にされている様子だった。
到着したのが、スタートの10分前くらい前だった。
車輌は、今年も自民党モータースポーツ議連使用のアルトで出場。
大岡さん、古屋先生、小坂市長、青山先生と30分毎、
2回ずつ走ることになった。
500㎞のエントリーは全部で78台。
自民党チームは、順調に周回を重ね、
特にトラブルもなく全体で23位でゴールした。

先生方は、あくまでもプライベートで参加しているが、
富士スピードウェイ関係者の方など挨拶に来ていた。
古屋先生は、話をしているとほんとにクルマが好きなんだというのが伝わってくる。
6月に今回のエントリーの打ち合わせで当チームRCパラシューター代表のKさんと
国会議員会館へ行ったのだが、
古屋先生から来年、11月に開催される世界ラリー選手権について
その誘致に尽力した話を聴く。
世界ラリーは、岐阜県、愛知県で開催さるとのことである。
さて、今日の1000㎞だが、
朝、8時スタートで午後6時までの10時間のエコラン。
今年は、燃料が65Lと過去最少。
去年が85Lで20Lも少なくなった。
それ以前は、100L以上だったこともあり、
これまで以上に燃費が要求される。
例年、2台で走り、
自民党アルトをエンジョイチーム、12年前から使っているアルトで優勝を目指す本気チームで参戦していたが、
今年は、自民党アルト1台で参戦。
6人で100分ずつ走ることになった。
私は、4番目の午後1時から走ることになったが、
私の後にもう一人走ることになり、私は50分走ることになった。
走り出して1週目の終盤にイエローフラッグが出た。
クルマを減速し、抜かすことなく隊列で走っていると
横転している車があった。
それから4~5周セーフティーカーの先導で走り、
第1コーナーをまわった後、
青ランプが点灯。
一斉にスピードが上がり、
団子御状態でしばらく走る。
非常に走りにくい状態で数週走ったら
今度は、シケインからの上り坂で何度かガクンときた。
私が50分走ったらガソリンスタンドで給油することになっていたが、
すでに燃料もなくなってきていると感じて
30分ほどしか走っていなかったが、
ガソリンスタンドへ行って給油してもらうことにした。
燃料は、最初に30L、2回目に15L、そして最後に20L入れることになっていて、
私は、最後の20Lを入れた。
予定より早く帰ってきて交代したが、
特にトラブルもなくてよかった。
早い人は、うちのクルマで1周2分40秒ほどで走るが、
私は3分ほどで走っていた。
まぁ、セーフティーカーが入った後だから仕方ないかな。
団子状態じゃなかったら、
もう10秒くらいは早く走れたような気がする。
今回のエントリーが全部で141台。
自然吸気のNAエンジン部門のGP2クラスが61台。
午前中一時クラス6位、全体で20位くらいまで上がるが、
私の時でクラス20位くらいまで下がる。
今日の天気は、晴れでとても暑かった。
クルマは締め切っていて、もちろんクーラーついていないので
クルマを下りると汗びっしょりだった。
特に、お尻が一番濡れていた。
その後、順調に周回を重ねるが、
燃料がなくなってきて
5時前にピットイン。
6時のゴール10分前くらいに再びコースの戻るが、
222周走った1位のクルマが通過した最後の周でコース上でガス欠となってしまった。
うちのチームは173周だった。
燃料不足は、残念だったけど
今年は、特にトラブルもなく
みんな走れてよかった。
下記、1月のベストカーWeb
*********
世界ラリー選手権(WRC)、2019年に日本開催へ!
2018年1月12日 / モータースポーツ
■開催は2019年11月、愛知・岐阜で!
2018年1月12日、幕張メッセで開催されている「東京オートサロン2018」にて、FIA WRC(FIA世界ラリー選手権)日本ラウンド招致準備委員会の設立が発表された。
開催予定地は愛知・岐阜の両県を含む中部地域で、競技やイベントの中心施設は愛・地球博記念公園(通称モリコロパーク)。
招致準備委員会によると、今後のスケジュールは2018年夏頃にJAFからFIAへと申請が上がり、同年11月に開催予定地にてリハーサルイベントを開催、12月にFAIの国際競技カレンダーへ掲載されることで正式な開催決定となる。
イベント日程は2019年11月を予定。
FIA WRCは、F1やWECなどと並ぶ世界最高峰の自動車競技シリーズとして長い歴史を持つ。招致が決定されれば、日本での開催は10年ぶりとなる。
■自民党モータースポーツ振興議員連盟会長よりコメント
招致準備委員会の設立にあたり、自民党の古屋圭司議員より、以下のメッセージが届けられた。
「このたびは、世界ラリー選手権(WRC)日本開催準備委員会が設立され、WRCをふたたび日本で開催するべく、その活動がスタートしたとのこと、おめでとうございます。
私は岐阜県の恵那市の出身であり、また自由民主党モータースポーツ振興議員連盟の会長も務めさせていただいております。それだけに、WRCを私の地元の中部地域で開催したいという活動は、私自身の期待を二重にふくらませてくれるものです。
ご存知のように、昨年来トヨタ自動車がWRCへの挑戦をスタートしておりますが、愛知、岐阜を中心とした中部エリアには、ラリー開催のためのしっかりとした土壌があります。
日本は世界有数の自動車輸出大国であり、自動車産業は日本経済の一端をしっかりと担っています。自動車に関わる就労人口も直接・間接を含めると500万人を超えるという推計もあります。その一方で、モータースポーツが文化としてしっかり国民に浸透しているかというと、決してそうではありません。
昨年のインディ500マイルで優勝した佐藤琢磨選手は、一夜にしてアメリカのスーパースターとなり、大きな名誉と莫大な賞金を手にしました。ヨーロッパでは国王や国家元首がF1グランプリの観戦に訪れる機会も多く、また公共インフラである一般公道を封鎖してのレースも数多く開催されています。こうしたことが可能なのは、欧米ではモータースポーツ文化が歴史に根ざし、しっかりと育まれてきたからでしょう。
WRCの日本開催を実現することで、モータースポーツ文化をさらに定着させて行くことができれば、日本における自動車産業はさらに活性化するでしょう。
2019年、WRC日本開催が実現することを、わたくしも議員連盟の会長として、またいちファンとしても待ち遠しく感じています」