2017年05月06日
ホノルル国際空港が「ダニエル・K・イノウエ空港」へ改名 イノウエさんとはどんな人?
下記、3日のスポーツ報知
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ホノルル国際空港が「ダニエル・K・イノウエ空港」へ改名 イノウエさんとはどんな人?
スポーツ報知 5/3(水) 6:10配信
米ハワイ州のホノルル国際空港が正式名称を「ダニエル・K・イノウエ国際空港」に改名したことが2日、分かった。2012年に死去した日系2世の上院議員の名にちなんだもの。2000年に米最高位の名誉勲章を受章し、ホノルル国際空港整備のための連邦予算確保にも寄与していた。
日本人になじみの深いハワイに、さらになじみ深い名称の空港が誕生した。ホノルル国際空港が「イノウエ空港」へ改名。昨年、同空港へは日本から12万人以上の旅行者が訪れていた。
地元メディアなどによると、すでに空港のタワーに掲げられていた「ホノルル国際空港」と書かれた看板は撤去。公式サイトも変更された。一方で、国際航空運送協会(IATA)が定めているホノルル国際空港の空港コード「HNL」は当面変更はないという。
「イノウエ空港」だと、日本では「国内の地名」と勘違いする可能性もある。旅行会社のJTB広報は「先週金曜日(4月28日)に変更になったはずですが、イノウエ空港だとややこしいので、お客さまには今までと同じく『ホノルル国際空港』としてご案内しています」と対応を説明。成田国際空港でも行き先表示板ではこれまで通り「ホノルル」と記されており、目立った混乱はないという。
今回変更された名称は、2012年に死去したダニエル・ケン・イノウエ(日本名・井上建)上院議員に由来するもの。イノウエ氏は第2次世界大戦で米陸軍日系人部隊の一員として戦い、右腕を失った。62年に日系初の連邦上院議員に当選。以降約50年、連続9期にわたって同職を務めた重鎮だ。大戦中の活躍を評価され、2000年に米最高位の「自由勲章」を受章。ホノルル国際空港整備のための連邦予算確保にも寄与していたことで、昨年、空港の改名が州議会で決議されていた。
欧米では、顕著な功績を残した人物の名前を公共施設に冠することは一般的。有名な例ではニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港などがある。日本では、高知空港が「高知龍馬空港」の愛称で呼ばれている。
「オニヅカ」も ハワイでは、1月にハワイ島のコナ国際空港が「エリソン・オニヅカ・コナ国際空港」に変更されたばかり。アジア系初の宇宙飛行士で、86年のチャレンジャー号爆発事故で39歳で亡くなった同島出身のエリソン・オニヅカ氏をたたえて付けられたもの。ハワイでは長年同地に貢献してきた日系人への顕彰が続いており、「イノウエ空港」もその一つといえそうだ。
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ダニエル・ケン・イノウエは、第2次対戦で第442連隊に所属していた。
第442連隊戦闘団は、第二次世界大戦中のアメリカ陸軍が有した連隊規模の部隊である。
士官などを除くほとんどの隊員が日系アメリカ人により構成されていた。ヨーロッパ戦線に投入され、枢軸国相手に勇戦敢闘した。
その激闘ぶりはのべ死傷率314%(のべ死傷者数9,486人)という数字が示している。
アメリカ合衆国史上もっとも多くの勲章を受けた部隊としても知られる。
442連隊に所属した多くの日系人が強制収容所に収容され、
戦うことによってアメリカに対しての忠誠心を証明しようとした人たちだ。
日系人収容所に収容されたノーマン・ヨシオ・ミネタ氏は、父が清水町久米田出身。
シリコンバレーのあるサンノゼ市長、商務長官、運輸長官を歴任。
2001年11月、ミネタの地元のサンノゼ国際空港は、
ミネタの長年の功績を顕彰して、
同空港の正式名を「ノーマン・Y・ミネタ・サンノゼ国際空港」と改称した。
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ホノルル国際空港が「ダニエル・K・イノウエ空港」へ改名 イノウエさんとはどんな人?
スポーツ報知 5/3(水) 6:10配信
米ハワイ州のホノルル国際空港が正式名称を「ダニエル・K・イノウエ国際空港」に改名したことが2日、分かった。2012年に死去した日系2世の上院議員の名にちなんだもの。2000年に米最高位の名誉勲章を受章し、ホノルル国際空港整備のための連邦予算確保にも寄与していた。
日本人になじみの深いハワイに、さらになじみ深い名称の空港が誕生した。ホノルル国際空港が「イノウエ空港」へ改名。昨年、同空港へは日本から12万人以上の旅行者が訪れていた。
地元メディアなどによると、すでに空港のタワーに掲げられていた「ホノルル国際空港」と書かれた看板は撤去。公式サイトも変更された。一方で、国際航空運送協会(IATA)が定めているホノルル国際空港の空港コード「HNL」は当面変更はないという。
「イノウエ空港」だと、日本では「国内の地名」と勘違いする可能性もある。旅行会社のJTB広報は「先週金曜日(4月28日)に変更になったはずですが、イノウエ空港だとややこしいので、お客さまには今までと同じく『ホノルル国際空港』としてご案内しています」と対応を説明。成田国際空港でも行き先表示板ではこれまで通り「ホノルル」と記されており、目立った混乱はないという。
今回変更された名称は、2012年に死去したダニエル・ケン・イノウエ(日本名・井上建)上院議員に由来するもの。イノウエ氏は第2次世界大戦で米陸軍日系人部隊の一員として戦い、右腕を失った。62年に日系初の連邦上院議員に当選。以降約50年、連続9期にわたって同職を務めた重鎮だ。大戦中の活躍を評価され、2000年に米最高位の「自由勲章」を受章。ホノルル国際空港整備のための連邦予算確保にも寄与していたことで、昨年、空港の改名が州議会で決議されていた。
欧米では、顕著な功績を残した人物の名前を公共施設に冠することは一般的。有名な例ではニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港などがある。日本では、高知空港が「高知龍馬空港」の愛称で呼ばれている。
「オニヅカ」も ハワイでは、1月にハワイ島のコナ国際空港が「エリソン・オニヅカ・コナ国際空港」に変更されたばかり。アジア系初の宇宙飛行士で、86年のチャレンジャー号爆発事故で39歳で亡くなった同島出身のエリソン・オニヅカ氏をたたえて付けられたもの。ハワイでは長年同地に貢献してきた日系人への顕彰が続いており、「イノウエ空港」もその一つといえそうだ。
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ダニエル・ケン・イノウエは、第2次対戦で第442連隊に所属していた。
第442連隊戦闘団は、第二次世界大戦中のアメリカ陸軍が有した連隊規模の部隊である。
士官などを除くほとんどの隊員が日系アメリカ人により構成されていた。ヨーロッパ戦線に投入され、枢軸国相手に勇戦敢闘した。
その激闘ぶりはのべ死傷率314%(のべ死傷者数9,486人)という数字が示している。
アメリカ合衆国史上もっとも多くの勲章を受けた部隊としても知られる。
442連隊に所属した多くの日系人が強制収容所に収容され、
戦うことによってアメリカに対しての忠誠心を証明しようとした人たちだ。
日系人収容所に収容されたノーマン・ヨシオ・ミネタ氏は、父が清水町久米田出身。
シリコンバレーのあるサンノゼ市長、商務長官、運輸長官を歴任。
2001年11月、ミネタの地元のサンノゼ国際空港は、
ミネタの長年の功績を顕彰して、
同空港の正式名を「ノーマン・Y・ミネタ・サンノゼ国際空港」と改称した。