2024年11月24日
清水町文化講演会「城から歴史を愉しむ」城郭考古学者 千田嘉博氏
午後1時30分より町地域交流センターで
清水町文化講演会「城から歴史を愉しむ」と題して
城郭考古学者 千田嘉博氏のお話を聞く。

千田先生は、数々の城に関するテレビ番組に出演するなど人気の先生なので会場は満席。
先生は、昨日からこちらに来て
午前中は、泉頭城を見学されたという。
講演では、地元の泉頭城や戸倉城、
韮山城、長浜城、興国寺城、山中城を点群データの地図を用いて、本丸や堀の位置などの解説をしてくれる。
以前は、城の調査は、現地調査が基本で、ジャングルみたいなところで、ヘビが出たりと大変だったとユーモアを交えて説明してくれる。
そして、泉頭城にもある馬出しについて解説してくれる。
城の出入口の前に張り出した半円状の土塁とその外側に堀を作り、両サイドに出入口を作る。
すると敵は、簡単には攻めることはできず、味方は守りやすい。
その成り立ちや特徴、
馬出しを活用した長篠城など武田の城を中心にその防御力の高さや
その後、その技術が小牧山城や駿府城など徳川の城にも生かされていった歴史について説明してくれる。
ちなみに小牧長久手の戦いで、秀吉が配下の武将の進言で、岡崎城を攻めることにしたと言われていたが、現在の説は、実は秀吉自らの発案で、それが失敗して、責任転嫁したとのことである。
また、泉頭城にもあった北条の城の特徴である畝堀についても解説してくれる。
畝堀は、障子堀とも呼ばれて、一度堀に落ちると、身動きが取れず、格好の的になる。
畝堀で有名な山中城では、現在、敵の最初の攻撃対象になる西櫓が周りを堀で囲まれて、孤立していて、これでは見捨てられる造りになっているが、
本来は、堀を隔てた隣の曲輪と橋でつながっていたと解説してくれた。
こうした国の史跡になっていても調査の結果、
違っていることが判明する事例があり、
特に佐賀県の吉野ケ里遺跡の柵と堀の内側に乱杭があるなど、
考古学者は、間違えることもある。
情報の総合知ができないといけない。
そうした視点や技術が必要になってきており、
お城については城郭考古学として研究している話をされた。
清水町文化講演会「城から歴史を愉しむ」と題して
城郭考古学者 千田嘉博氏のお話を聞く。

千田先生は、数々の城に関するテレビ番組に出演するなど人気の先生なので会場は満席。
先生は、昨日からこちらに来て
午前中は、泉頭城を見学されたという。
講演では、地元の泉頭城や戸倉城、
韮山城、長浜城、興国寺城、山中城を点群データの地図を用いて、本丸や堀の位置などの解説をしてくれる。
以前は、城の調査は、現地調査が基本で、ジャングルみたいなところで、ヘビが出たりと大変だったとユーモアを交えて説明してくれる。
そして、泉頭城にもある馬出しについて解説してくれる。
城の出入口の前に張り出した半円状の土塁とその外側に堀を作り、両サイドに出入口を作る。
すると敵は、簡単には攻めることはできず、味方は守りやすい。
その成り立ちや特徴、
馬出しを活用した長篠城など武田の城を中心にその防御力の高さや
その後、その技術が小牧山城や駿府城など徳川の城にも生かされていった歴史について説明してくれる。
ちなみに小牧長久手の戦いで、秀吉が配下の武将の進言で、岡崎城を攻めることにしたと言われていたが、現在の説は、実は秀吉自らの発案で、それが失敗して、責任転嫁したとのことである。
また、泉頭城にもあった北条の城の特徴である畝堀についても解説してくれる。
畝堀は、障子堀とも呼ばれて、一度堀に落ちると、身動きが取れず、格好の的になる。
畝堀で有名な山中城では、現在、敵の最初の攻撃対象になる西櫓が周りを堀で囲まれて、孤立していて、これでは見捨てられる造りになっているが、
本来は、堀を隔てた隣の曲輪と橋でつながっていたと解説してくれた。
こうした国の史跡になっていても調査の結果、
違っていることが判明する事例があり、
特に佐賀県の吉野ケ里遺跡の柵と堀の内側に乱杭があるなど、
考古学者は、間違えることもある。
情報の総合知ができないといけない。
そうした視点や技術が必要になってきており、
お城については城郭考古学として研究している話をされた。