2012年02月29日

<高尾山古墳>保存か道路建設か 沼津市教委調査書、来月提出

下記、27日の読売新聞

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高尾山古墳保存か   道路建設か
沼津市教委調査書、来月提出
(2012年2月27日 読売新聞)

 邪馬台国の女王、卑弥呼が統治した時代の築造とみられる沼津市の高尾山古墳を巡り、市が岐路に立っている。市道予定地にある古墳を壊し、道路とするのか。価値を重んじて保存するのか。その指標となる市教委の調査書は3月に提出される。市は調査書を基に専門家の意見や市民の声を聞き、古墳のあり方を決める。7月にはシンポジウムも予定されている。(山田博文)

 ■道路計画

 市道路建設課によると、建設予定の市道は幅25~30メートルで古墳の真ん中を通り、国道1号と同246号を結ぶ。

 09年9月に古墳が確認され、栗原裕康市長は「学術的価値が判明するまで」と周辺の工事中断を指示。だが、それ以外の整備は進み、未整備区間1125メートルの用地買収は99%終わり、工事も古墳周辺を残すだけだ。

 周辺道路は1日約7万台の車が往来する県内有数の渋滞路線。同課の長橋俊幸課長は「道路ができれば、渋滞緩和に果たす役割は大きい」とその必要性を語る。

 一方、保存するには迂回(うかい)路など計画変更が必要となる。事業費増加や工期の延長、周辺住民の理解をどう得るかなど、課題は山積する。

 ■学術的価値

 調査書をまとめる池谷信之・市文化財センター主査(学芸員)によると、年代の決め手は、古墳東の周濠(しゅうごう)から出土した高坏(たかつき)だ。その特徴から230年代に作られたとみられる。

 ただ、被葬者が埋められる主体部より早く造られる周辺部で見つかったため、古墳の完成時期を20年程度遅くみる研究者もいるという。

 「卑弥呼の墓」との説もある箸墓古墳(奈良県桜井市)などと同時代の3世紀に造られたとみられるが、230年代の築造説が有力となれば、「古墳の成立過程に一石を投じる」と池谷さんは見る。

 「権力者の象徴」である古墳は、一般的に中央政権に統治を認められた地方の有力者が築造すると考えられてきた。高尾山古墳の出現は、中央に先立ち、地方政権が独自に築造していた可能性を示し、定説に大きな影響を与えるという。

 池谷さんは「研究者は現場に古墳を残したいし、残せれば地元の宝になる。だが道路ができれば、市民生活は便利になる」と、ジレンマを口にする。

 ■始めと終わり

 沼津には、8世紀初頭の古墳時代終末期に造られたとされる清水柳北1号墳もある。国史跡の武蔵府中熊野神社古墳(東京都府中市)などと同様、全国でも数例しかない上円下方墳だ。こちらは発掘地のそばに移築、復元されている。

 沼津では、古墳の「始め」と「終わり」が確認されたことになる。貴重な古墳を市や市民はどう考えるのか。残された時間は多くない。

■高尾山古墳 2009年9月に沼津市東熊堂で確認された長さ約62メートル、高さ約5メートルの前方後方墳(旧・辻畑古墳)。出土した祭礼用土器の高坏から3世紀前半から半ばに築造された国内最古級の古墳の可能性が指摘されるなど、学術的価値が注目されている。

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清水町の伏見にある恵ヶ後・谷口遺跡との関連性も指摘される高尾山古墳。

卑弥呼の時代にできた古墳で
国内最古級の古墳の可能性がある。

沼津市の判断に注目。


タグ :沼津市

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Posted by 清水町議会議員 松浦俊介 at 17:46 │生涯学習

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