2010年08月14日
K4-GPを振り返る
毎年、8月のこの時期に2日間にわたって行われるK4GPだが、
私は、初日の12日は、東京で3日間勉強会に参加していて、
夕方、富士スピードウェイに到着。
いつも通り、ピット裏にテントが張ってあり、
みんなでバーベキューを行う。
夜は、そのピット裏にパドックスイートという
2階建ての休憩所みたいなところが6棟12部屋あり、
うちのチームは、その一つを確保でき、
そこで泊まる。
パドックスイートは、1階が調理室やトイレがあり、
2階が休憩室と洗面所、シャワールームがある。
翌朝、天気も良く、8時に145台のクルマが
221周、1000キロ先のチェッカーフラッグを目指してスタートした。
うちのチームは、ここ2年はアルトとアルトワークスの2台を
エントリーしていたが、今年はアルトワークスのみ。
チームのメンバーは、9人で
一人1時間で交代することになった。
私は、7番目で2時から3時まで運転することになった。
最初のドライバーは、
うちのチームでも経験豊富なベテランの方で
最速ラップ2分19秒196で1時間の交代時点で
1位との差1分45秒のなんと5位で終えた。
9人のメンバーは、
30代40代の男達だが、
20代の頃、富士スピードウェイでアマチュアのレースに出るなどして
腕を競った方が数人いる。
が、しかし、私のように素人の方もいるので、
その後は、ずるずる後退し、
私の出番の頃には40番台後半まで落ちた。
さて、1年ぶりの富士スピードウェイであるが、
前日の練習走行も参加できなかったので
いきなり本番である。
最初は、とにかく安全運転。
スピードは控えめに周りを見ながら
コースを確認するように走る。
2週目のラップが2分49秒。
みんなはだいたい2分30秒くらいで走るので
20秒くらい遅い。
それでも徐々に慣れてきて感覚をつかめてくると
タイムも上昇。
30秒台後半となり、自身最高ラップの2分31秒まで持って行った。
ところが30分を過ぎたあたりから
心配していた雨が降り出し、場所によってはたたきつけるような雨になった。
1500メートルの直線では、数百メートル先を行くクルマが
水しぶきで見えなくなった。
ここからもっとタイムを伸ばそうと思っていたのに運がないが、
それでも30秒台後半くらいでやっつけた。
50番台後半くらいまで落ちた順位も
50番前後まで戻した。
特にトラブルもなく次のドライバーに交代する。
その後も順調に推移したが、
1位のクルマがなんと9時間8分という驚異的なタイムで221周を走りきり、
うちのチームは46位という順位でフィニッシュとなった。
今年は、特に大きな事故もなかったので
セーフティカーが入ることもなかったのが要因だが、
これで雨も降らなかったら9時間を切れていたかも知れない。
1位と2位のクルマはホンダのトゥデイ である。
自然吸気エンジンにもかかわらず
1周を2分10秒くらいで走っていた。
うちは、過給器ついているのに10秒から20秒遅い。
スズキのアルトでホンダのトゥデイに勝つのは難しいと
みんな言っていた。
今年は、エンジントラブルもなく9時間走りきった。
完走できたことが何よりも喜びだった。
途中でリタイヤするクルマもたくさんいる。
去年、同じピットだった東大チームは、
エンジンが故障したらしく
場内アナウンスでアルトの予備のエンジンを持っているチームがいたら
貸してくださいと呼びかけていた。
その後、ドナーが現れたかどうか分からないが、
それほど過酷な大会である。
また今大会からハイブリッドカーが走っていた。
「何だ?このでかいクルマは」
とよく見ると街でよく見るプリウスだった。
プリウスやシビックハイブリッドが走っていた。
この大会も時代の流れによって
レギュレーションが変わっていっている。
そういえば、与党の幹部が陣中見舞いに来てくれた。
ホームストレートでサインボードを出していたら、
肩をたたかれた。
「どうですか。国会の調子は?」と言うと
あまり色よい返事は返ってこなかった。
うちのクルマの名称は
「行革なくして完(官)走なし!」だ。
そういえば、この大会に参加して初めて
民主党は与党となりこの1年国政を担ってきたわけであるが、
事業仕分けなどで行政改革が進んだ部分もあったが、
全体的には期待はずれである。
参議院も過半数割れとなり国会運営も大変だろう。
自分は、以前、この日記でも書いたけど
「いっそ自民党と連立をしガラガラポンで真正保守政党を作ってください」と
お願いする。
国政はリタイヤできない。
とにかく走り続けて行き詰まったら解散である。
来年のK4GPの頃には、政界はどんな状況になっているだろう。
私は、初日の12日は、東京で3日間勉強会に参加していて、
夕方、富士スピードウェイに到着。
いつも通り、ピット裏にテントが張ってあり、
みんなでバーベキューを行う。
夜は、そのピット裏にパドックスイートという
2階建ての休憩所みたいなところが6棟12部屋あり、
うちのチームは、その一つを確保でき、
そこで泊まる。
パドックスイートは、1階が調理室やトイレがあり、
2階が休憩室と洗面所、シャワールームがある。
翌朝、天気も良く、8時に145台のクルマが
221周、1000キロ先のチェッカーフラッグを目指してスタートした。
うちのチームは、ここ2年はアルトとアルトワークスの2台を
エントリーしていたが、今年はアルトワークスのみ。
チームのメンバーは、9人で
一人1時間で交代することになった。
私は、7番目で2時から3時まで運転することになった。
最初のドライバーは、
うちのチームでも経験豊富なベテランの方で
最速ラップ2分19秒196で1時間の交代時点で
1位との差1分45秒のなんと5位で終えた。
9人のメンバーは、
30代40代の男達だが、
20代の頃、富士スピードウェイでアマチュアのレースに出るなどして
腕を競った方が数人いる。
が、しかし、私のように素人の方もいるので、
その後は、ずるずる後退し、
私の出番の頃には40番台後半まで落ちた。
さて、1年ぶりの富士スピードウェイであるが、
前日の練習走行も参加できなかったので
いきなり本番である。
最初は、とにかく安全運転。
スピードは控えめに周りを見ながら
コースを確認するように走る。
2週目のラップが2分49秒。
みんなはだいたい2分30秒くらいで走るので
20秒くらい遅い。
それでも徐々に慣れてきて感覚をつかめてくると
タイムも上昇。
30秒台後半となり、自身最高ラップの2分31秒まで持って行った。
ところが30分を過ぎたあたりから
心配していた雨が降り出し、場所によってはたたきつけるような雨になった。
1500メートルの直線では、数百メートル先を行くクルマが
水しぶきで見えなくなった。
ここからもっとタイムを伸ばそうと思っていたのに運がないが、
それでも30秒台後半くらいでやっつけた。
50番台後半くらいまで落ちた順位も
50番前後まで戻した。
特にトラブルもなく次のドライバーに交代する。
その後も順調に推移したが、
1位のクルマがなんと9時間8分という驚異的なタイムで221周を走りきり、
うちのチームは46位という順位でフィニッシュとなった。
今年は、特に大きな事故もなかったので
セーフティカーが入ることもなかったのが要因だが、
これで雨も降らなかったら9時間を切れていたかも知れない。
1位と2位のクルマはホンダのトゥデイ である。
自然吸気エンジンにもかかわらず
1周を2分10秒くらいで走っていた。
うちは、過給器ついているのに10秒から20秒遅い。
スズキのアルトでホンダのトゥデイに勝つのは難しいと
みんな言っていた。
今年は、エンジントラブルもなく9時間走りきった。
完走できたことが何よりも喜びだった。
途中でリタイヤするクルマもたくさんいる。
去年、同じピットだった東大チームは、
エンジンが故障したらしく
場内アナウンスでアルトの予備のエンジンを持っているチームがいたら
貸してくださいと呼びかけていた。
その後、ドナーが現れたかどうか分からないが、
それほど過酷な大会である。
また今大会からハイブリッドカーが走っていた。
「何だ?このでかいクルマは」
とよく見ると街でよく見るプリウスだった。
プリウスやシビックハイブリッドが走っていた。
この大会も時代の流れによって
レギュレーションが変わっていっている。
そういえば、与党の幹部が陣中見舞いに来てくれた。
ホームストレートでサインボードを出していたら、
肩をたたかれた。
「どうですか。国会の調子は?」と言うと
あまり色よい返事は返ってこなかった。
うちのクルマの名称は
「行革なくして完(官)走なし!」だ。
そういえば、この大会に参加して初めて
民主党は与党となりこの1年国政を担ってきたわけであるが、
事業仕分けなどで行政改革が進んだ部分もあったが、
全体的には期待はずれである。
参議院も過半数割れとなり国会運営も大変だろう。
自分は、以前、この日記でも書いたけど
「いっそ自民党と連立をしガラガラポンで真正保守政党を作ってください」と
お願いする。
国政はリタイヤできない。
とにかく走り続けて行き詰まったら解散である。
来年のK4GPの頃には、政界はどんな状況になっているだろう。
Posted by 清水町議会議員 松浦俊介 at 23:03
│思い出