2018年08月09日
<翁長雄志・沖縄知事が死去>辺野古移設反対の象徴 知事選9月に前倒し
下記、昨日の産経ニュース
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翁長雄志・沖縄知事が死去 辺野古移設反対の象徴 知事選9月に前倒し
2018.8.8 19:52 産経ニュース
がん治療を続けていた沖縄県の翁長雄志知事が8日午後、膵がんのため入院先の浦添総合病院(浦添市)で死去した。67歳だった。翁長氏は7日から意識混濁の状態に陥り、謝花喜一郎副知事が8日から職務を代理していた。知事選は翁長氏の任期満了(12月9日)に伴い11月1日告示、同18日投開票の日程が決まっていたが前倒しされ、9月中には行われる見通し。
謝花氏の説明によると、翁長氏は4月に切除手術を行った膵がんが肝臓に転移しており、7月30日から浦添総合病院に入院。8月7日から徐々に意識が混濁し始めたという。4日に謝花氏らに対し、意思決定ができない状況になった場合に職務代理者を置くよう指示したという。
公職選挙法の規定では、知事が死亡などにより任期途中で欠けた場合、県選挙管理委員会への通知後50日以内に知事選が行われる。9月30日投開票(同13日告示)が有力となり、9月23日投開票(同6日告示)も想定される。いずれの日程でも「9月7日告示-20日投開票」が予定される自民党総裁選の日程と重なることになりそうだ。
辺野古埋め立て撤回、翁長雄志沖縄知事「私の責任と判断で決断」
知事選をめぐっては、自民党県連などが推す宜野湾市の佐喜真淳市長が出馬の意思を表明している。共産党や社民党、労組などでつくる「オール沖縄会議」は翁長氏擁立を目指すことを決定していたが、翁長氏は態度を明確にしてこなかった。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する勢力の知事選候補はゼロからの選考を余儀なくされることになる。
一方、翁長氏は7月27日に普天間飛行場の辺野古移設に関し、仲井真弘多前知事が出した埋め立て承認の撤回に踏み切る考えを表明していた。今月9日に沖縄防衛局の主張を聞く「聴聞」を行い、政府が土砂投入を予定する17日までの撤回を目指していた。
翁長氏が不在の場合の撤回の判断について、謝花氏は8日夜、翁長氏が生前、撤回に踏み切って辺野古の土砂投入を阻止することにこだわっていたことを明かし、翁長氏死去後も職務代理者が撤回に踏み切る考えをにじませた。
翁長氏は那覇市生まれ。会社役員を経て那覇市議や県議、那覇市長を歴任。自民党県連幹事長も務めた。平成26年11月に辺野古移設の手続きを進めた仲井真氏を破って初当選。一貫して政府に対決姿勢を取り続け移設反対運動の象徴的存在だった。
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翁長知事にお会いしたことがある。
2012年の12月の衆議院議員総選挙で
沖縄1区に自民党公認で立候補した國場幸之助代議士の応援に行った際に
当時那覇市長だった翁長氏が選対本部長を務めていた。
翁長市長に
「静岡から國場さんの応援に来ました松浦といいます」
と挨拶をすると、
「沖縄に来たら『ハイサイ』(こんにちは)と
『ニフェーデービル』(ありがとうございます)を覚えて帰ってください」
とウチナーグチ(琉球語)のあいさつを教えてくれた。
那覇市が、ウチナーグチを推進していて
市長自ら積極的に取り組んでいることを身を持って体験した。
翁長氏は、その後、辺野古移設反対で知事となり、
政府自民党とは、難しい関係となった。
それについての評価は、いろいろあると思うが、
私自身は、その時、翁長市長がとても沖縄の文化を大切にしている政治家だと感じた。
政治家は、自分の目指す政策の実現のために
いろんな選択、判断を迫られる。
もともと自民党だった政治家が
こうした選択をせざるを得ない状況になったことを
改めて見直さなければならないと思う。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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翁長雄志・沖縄知事が死去 辺野古移設反対の象徴 知事選9月に前倒し
2018.8.8 19:52 産経ニュース
がん治療を続けていた沖縄県の翁長雄志知事が8日午後、膵がんのため入院先の浦添総合病院(浦添市)で死去した。67歳だった。翁長氏は7日から意識混濁の状態に陥り、謝花喜一郎副知事が8日から職務を代理していた。知事選は翁長氏の任期満了(12月9日)に伴い11月1日告示、同18日投開票の日程が決まっていたが前倒しされ、9月中には行われる見通し。
謝花氏の説明によると、翁長氏は4月に切除手術を行った膵がんが肝臓に転移しており、7月30日から浦添総合病院に入院。8月7日から徐々に意識が混濁し始めたという。4日に謝花氏らに対し、意思決定ができない状況になった場合に職務代理者を置くよう指示したという。
公職選挙法の規定では、知事が死亡などにより任期途中で欠けた場合、県選挙管理委員会への通知後50日以内に知事選が行われる。9月30日投開票(同13日告示)が有力となり、9月23日投開票(同6日告示)も想定される。いずれの日程でも「9月7日告示-20日投開票」が予定される自民党総裁選の日程と重なることになりそうだ。
辺野古埋め立て撤回、翁長雄志沖縄知事「私の責任と判断で決断」
知事選をめぐっては、自民党県連などが推す宜野湾市の佐喜真淳市長が出馬の意思を表明している。共産党や社民党、労組などでつくる「オール沖縄会議」は翁長氏擁立を目指すことを決定していたが、翁長氏は態度を明確にしてこなかった。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する勢力の知事選候補はゼロからの選考を余儀なくされることになる。
一方、翁長氏は7月27日に普天間飛行場の辺野古移設に関し、仲井真弘多前知事が出した埋め立て承認の撤回に踏み切る考えを表明していた。今月9日に沖縄防衛局の主張を聞く「聴聞」を行い、政府が土砂投入を予定する17日までの撤回を目指していた。
翁長氏が不在の場合の撤回の判断について、謝花氏は8日夜、翁長氏が生前、撤回に踏み切って辺野古の土砂投入を阻止することにこだわっていたことを明かし、翁長氏死去後も職務代理者が撤回に踏み切る考えをにじませた。
翁長氏は那覇市生まれ。会社役員を経て那覇市議や県議、那覇市長を歴任。自民党県連幹事長も務めた。平成26年11月に辺野古移設の手続きを進めた仲井真氏を破って初当選。一貫して政府に対決姿勢を取り続け移設反対運動の象徴的存在だった。
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翁長知事にお会いしたことがある。
2012年の12月の衆議院議員総選挙で
沖縄1区に自民党公認で立候補した國場幸之助代議士の応援に行った際に
当時那覇市長だった翁長氏が選対本部長を務めていた。
翁長市長に
「静岡から國場さんの応援に来ました松浦といいます」
と挨拶をすると、
「沖縄に来たら『ハイサイ』(こんにちは)と
『ニフェーデービル』(ありがとうございます)を覚えて帰ってください」
とウチナーグチ(琉球語)のあいさつを教えてくれた。
那覇市が、ウチナーグチを推進していて
市長自ら積極的に取り組んでいることを身を持って体験した。
翁長氏は、その後、辺野古移設反対で知事となり、
政府自民党とは、難しい関係となった。
それについての評価は、いろいろあると思うが、
私自身は、その時、翁長市長がとても沖縄の文化を大切にしている政治家だと感じた。
政治家は、自分の目指す政策の実現のために
いろんな選択、判断を迫られる。
もともと自民党だった政治家が
こうした選択をせざるを得ない状況になったことを
改めて見直さなければならないと思う。
心よりご冥福をお祈りいたします。
Posted by 清水町議会議員 松浦俊介 at 11:16
│思い出