2013年09月07日

60年前のバイク展示 清水町で製造「DSK」

下記、5日の静岡新聞
60年前のバイク展示 清水町で製造「DSK」
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60年前のバイク展示 清水町で製造「DSK」
静岡新聞 9月5日(木)8時59分配信

 60年前に旧清水村(現清水町)で製造されていたオートバイ「DSK」の特別展示が4日、町地域交流センターで始まった。18日まで。
 清水町制50周年記念事業の一環。同町文化協会が「郷土の昭和のものづくり文化を知ってほしい」と企画した。町によると1953年に販売が始まったDSKは、当時国内最高峰と言われた伝説のオートバイで、大東製機(現THKインテックス)で製造されていた。ドイツのBMW社のバイクをモデルに「高級車」として売り出していたという。展示しているのは54年のA25型250ccと55年のA50型500ccの2台。会場ではハンドルやシートなど、細部の写真を撮る熱心なファンの姿も見られた。

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60年前のバイク展示 清水町で製造「DSK」
午前中の敬老会の後、午後、地域交流センターでこのオートバイを見てきた。
250㏄と500ccのバイクが展示してあり、
とてもきれいで60年前のものとは思えなかった。

頂いた資料によると

大東製機は、戦前から続く紡績会社の大東紡織から昭和24年6月21日に独立して誕生した会社で、
戦争中は中島飛行機の下請けで部品を作っていた部門が、戦後すぐに繊維機械の製造を始め、
のちに分離独立した。

昭和27年から世界的に評価の高かった250ccのBMWR25を基に試作を開始し、
28年4月に試作3台が完成、日比谷公園で開かれたモーターショーへ出品した。

他社に比べて高価だったにもかかわらず注文が殺到、
現金売りも前金納入という条件付きで各代理店で飛ぶように売れた。

大東製機は、材料分析が得意だったためドイツのBMWに匹敵する素材で
製品を生み出したのが特徴で、素材や寸法など忠実にBMWを範としたため、
製品もそっくりで性能も抜きん出ていた。
このためドイツ大使館経由でクレームが付き、
「輸出しないこと」を条件に販売が許可されたという。

その後、昭和32年1月に工場が全焼して、
親会社の大東紡織との協議で二輪車生産から撤退することを条件に
再建援助を受けることになった。

昭和33年に販売店側がDSK号に愛着があり、
下請け部品会社を継承してDSK自動車工業を立ち上げ
昭和34年8月までに540台を生産したが解散した。

大東製機時代の昭和29年3月からの合計で
250ccを2,908台、500ccを275台、合計3,183台販売した。


タグ :清水町

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Posted by 清水町議会議員 松浦俊介 at 19:51 │郷土史

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