2012年12月20日
選挙の応援(3)
那覇空港で
沼津市議の加藤元章議員と合流して
ゆいレールで県庁前まで行き、
そのあとは、国際通りを歩いて
公設市場の食堂で
そうきそばをいただく。
店の人の話では
選挙はそんなに盛り上がっていないとの話。
店に地元紙の琉球新報があり、
そばがくるまで読んでいると
元外務省官僚の佐藤優氏の論評があった。
その中で今後の沖縄で琉球語(ウチナーグチ)の公用語化が
大きな議論になってくるだろうとの解説してあった。
すでに那覇市教育委員会では
ウチナーグチを学校教育で教えるよう指導しているという。
食堂を出て国際通り近くの國場選挙事務所に向かう途中、
「コクバ幸之助」と書いた青いのぼりが交差点の反対側に立ち、
青い鉢巻きやウインドブレーカーを着た集団がいた。

信号が変わって声をかけると
國場さんの運動員の皆さんで
これから公設市場周辺の商店街へ挨拶へ向かうという。
「私たち静岡から國場さんの応援に来ました!」というと
大変喜んでくれお母様と奥様を紹介してくれた。
そのままチラシや名刺、青い鉢巻きを渡され、
さっき来た道を引き返し、
ふたたび商店街と公設市場へ向かい、
1軒1軒「國場幸之助よろしくお願いします!」と
チラシや名刺を渡していった。

公設市場の食堂では、
さっき食事をした店のおばさんが私たちの姿を見て
驚き笑っていた。
沖縄は、観光産業が主力産業だが、
今はオフシーズンということもあるだろうが、
商店街の皆さんは、お客さんが少なくて大変だと嘆いていた。
行き交う観光客は、
修学旅行らしき学生が多く、
大陸の方か台湾の方かわからないが、
中国語の会話をよく聞いた。
商店街をしばらく歩いていると
國場候補と合流、
本人と固い握手を交わして
あいさつ回りに同行した。
國場さんには、テレビ局のカメラがずっとくっついていて、
インタビューも受けていた。

その後、國場さんと離れて
せっかくだからということで本人不在の玉抜きで
選挙カーに乗せてもらい、
夜、8時までスポット演説をすることになった。
選挙カーには3人のウグイス嬢が乗っていて、
私も後部座席に乗り、
地声で「國場幸之助お願いします!」と沿道の方や住宅地へ呼びかけた。
スポット演説では、
「自分は、静岡から國場さんの応援に来た町会議員です。
國場さんは、浪人中も党派を超えた全国の地方議員とのつながりをつくり、
沖縄の歴史や文化、課題などを全国に発信する力があります。
沖縄の地域振興や基地・安全保障の問題などは、
日本の課題そのものであり、
是非、そうした問題を國場さんに国政で取り組んでいただけるよう
皆さんのご支援をお願いします!」
と訴えかけた。

途中夕方、休憩で選挙事務所に選挙カーが戻り到着すると
事務所には多くの人が出迎えてくれ、
静岡から応援に来た私たちを歓迎してくれた。
事務所は、とても広い。
ビルの1階と2階を借りていて
1階の事務所は、
事務机や長椅子の島が8つ以上あった。
それぞれ島の上には
総務、女性局、企画日程、広報、企業局、
青年局などの部署の表示板がつる下がっていた。
2階は、倍以上の広さがあり
記者会見などができるホールや
同じような事務所や休憩室があった。
(まだつづく)
沼津市議の加藤元章議員と合流して
ゆいレールで県庁前まで行き、
そのあとは、国際通りを歩いて
公設市場の食堂で
そうきそばをいただく。
店の人の話では
選挙はそんなに盛り上がっていないとの話。
店に地元紙の琉球新報があり、
そばがくるまで読んでいると
元外務省官僚の佐藤優氏の論評があった。
その中で今後の沖縄で琉球語(ウチナーグチ)の公用語化が
大きな議論になってくるだろうとの解説してあった。
すでに那覇市教育委員会では
ウチナーグチを学校教育で教えるよう指導しているという。
食堂を出て国際通り近くの國場選挙事務所に向かう途中、
「コクバ幸之助」と書いた青いのぼりが交差点の反対側に立ち、
青い鉢巻きやウインドブレーカーを着た集団がいた。

信号が変わって声をかけると
國場さんの運動員の皆さんで
これから公設市場周辺の商店街へ挨拶へ向かうという。
「私たち静岡から國場さんの応援に来ました!」というと
大変喜んでくれお母様と奥様を紹介してくれた。
そのままチラシや名刺、青い鉢巻きを渡され、
さっき来た道を引き返し、
ふたたび商店街と公設市場へ向かい、
1軒1軒「國場幸之助よろしくお願いします!」と
チラシや名刺を渡していった。

公設市場の食堂では、
さっき食事をした店のおばさんが私たちの姿を見て
驚き笑っていた。
沖縄は、観光産業が主力産業だが、
今はオフシーズンということもあるだろうが、
商店街の皆さんは、お客さんが少なくて大変だと嘆いていた。
行き交う観光客は、
修学旅行らしき学生が多く、
大陸の方か台湾の方かわからないが、
中国語の会話をよく聞いた。
商店街をしばらく歩いていると
國場候補と合流、
本人と固い握手を交わして
あいさつ回りに同行した。
國場さんには、テレビ局のカメラがずっとくっついていて、
インタビューも受けていた。

その後、國場さんと離れて
せっかくだからということで本人不在の玉抜きで
選挙カーに乗せてもらい、
夜、8時までスポット演説をすることになった。
選挙カーには3人のウグイス嬢が乗っていて、
私も後部座席に乗り、
地声で「國場幸之助お願いします!」と沿道の方や住宅地へ呼びかけた。
スポット演説では、
「自分は、静岡から國場さんの応援に来た町会議員です。
國場さんは、浪人中も党派を超えた全国の地方議員とのつながりをつくり、
沖縄の歴史や文化、課題などを全国に発信する力があります。
沖縄の地域振興や基地・安全保障の問題などは、
日本の課題そのものであり、
是非、そうした問題を國場さんに国政で取り組んでいただけるよう
皆さんのご支援をお願いします!」
と訴えかけた。

途中夕方、休憩で選挙事務所に選挙カーが戻り到着すると
事務所には多くの人が出迎えてくれ、
静岡から応援に来た私たちを歓迎してくれた。
事務所は、とても広い。
ビルの1階と2階を借りていて
1階の事務所は、
事務机や長椅子の島が8つ以上あった。
それぞれ島の上には
総務、女性局、企画日程、広報、企業局、
青年局などの部署の表示板がつる下がっていた。
2階は、倍以上の広さがあり
記者会見などができるホールや
同じような事務所や休憩室があった。
(まだつづく)
Posted by 清水町議会議員 松浦俊介 at 16:06
│日記