2021年09月21日
プロ野球選手からアメフト選手へ転身。元ベイスターズ石川雄洋「憧れのイメージがずっとあった」
下記、webスポルティーバ
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プロ野球選手からアメフト選手へ転身。元ベイスターズ石川雄洋「憧れのイメージがずっとあった」
9/19(日) 16:00配信 webスポルティーバ
「デビュー戦は、ドキドキしました」
元横浜DeNAベイスターズの石川雄洋(35歳)は、そう言って笑顔を見せた。
9月4日のアメリカンフットボールXリーグ、富士通フロンティアーズ戦との開幕戦、石川はノジマ相模原ライズのワイドレシーバーとして出場。ロングパスをキャッチするなど、堂々としたプレーでデビュー戦を飾った。スタンドにはベイスターズのユニフォームを着たファンが駆けつけ、ツイッター上では #石川雄洋 でプレーの様子などがツイートされ、デビュー戦を盛り上げた。
アメフトに挑戦する他競技のトップアスリートは、元横綱の花田勝さん(オンワードスカイラークス)、元ラグビー日本代表の山田章仁さん(相模原ライズ)などの例があるが、元プロ野球選手は初の事例である。横浜DeNAベイスターズで16年間プレーし、キャプテンまで務めた石川は、なぜアメフトに転向したのだろうか――。
アメフトの世界でプレーし始めた石川は、野球歴でいうとエリートである。
高校野球は名門・横浜高校の出身で、同期には涌井秀章投手(東北楽天ゴールデンイーグルス)らがいる。静岡で野球をしていた石川は当初、異なる高校への進学を考えていたが急遽なくなり、横浜への進学が決まった。入学すると各中学校でお山の大将みたいな選手がゴロゴロいた。
「同級生のメンバーを見た時、涌井を始め、全国で活躍している選手、静岡の田舎で野球をしていた僕でもわかるような有名な選手がたくさんいました。その中でどれだけできるか、3年間、やっていけるのか。不安な気持ちのほうが大きかったです」
寮生活を送りながら「レギュラーになりたい」「甲子園に行きたい」という思いを持って必死に努力した。そうして高2の時には第75回選抜大会で甲子園に出場し、準優勝したが個人的には結果を残せなかった。続く高3の夏の甲子園では準々決勝で、当大会で優勝した駒大苫小牧に敗れたが、石川は14打数10安打と打ちまくり、大活躍をして注目を浴びた。
「春が全然打てなくて、その悔しさがずっとあって、最後の夏に挽回するチャンスをもらえたので、気合いが入っていました。まさか、あんなに打てると思っていなかったので驚きましたね。かなり出来すぎでした(笑)」
夏の甲子園での活躍は、ドラフトに多分に影響を及ぼす。
俊足で非常にシャープな振りをした石川に、ある球団のスカウトの目が留まった。そして、そのシーズンのドラフトでベイスターズに6位で指名されたのである。
「うれしかったですね。ただ、その反面、夏の甲子園で打ちましたけど正直、プロで通用するのかなって思いました。僕はけっこう現実を見るタイプなんですよ。プロは厳しい世界ですし、活躍したいと思っていましたけど、どれだけできるかわからない。横浜高校に入る時と同じで、不安のほうが大きかったです」
ベイスターズに入団し、覚悟はしていたが、やはりプロ野球はすぐに活躍できるほど簡単なところではなかった。4年目のシーズン、ようやくショートのレギュラーを掴むことができた。
「自分の中では4年間を一応目安に考えていました。入団時は毎日試合を戦う体力もないし、走攻守すべて課題があったので、1日1日を無駄にしないように努力してきました。4年を経過すると大卒の選手が即戦力で入ってくるんですけど、同年齢じゃないですか。僕は先にプロを経験しているので、同年齢の大卒には負けたくないというライバル心が強かったですし、4年でダメならという思いもあったのでレギュラーになれたのは大きかったです」
レギュラーを任された石川はチームの主力選手へと成長していった。そして2012年、横浜がDeNAベイスターズに変更になった最初のシーズン、石川はキャプテンになった。それは当時の中畑清監督に指名されたのではなく、新沼慎二や森本稀哲、渡辺直人ら選手が石川を推して決まったものだった。
「僕はキャプテンタイプじゃないですし、なかにはお前がやるのかよって思った人もいたと思います。それに先輩が多いなか、自分がやってもいいのかっていう思いもありましたので、1週間ぐらい断っていたんです。でも、先輩のみなさんに『チームを強くするためにお前は何かを持っている。お前がしっかりすればお前自身のためになるし、チームのためにもなる』と言われて......。僕はやるからには中途半端にやりたくなかった。自由にやらせてもらえるとのことでしたし、『サポートするから』と先輩に言われて、ようやく決心することができました」
キャプテンになったがクールな姿勢を貫く石川は、たびたび中畑監督と衝突した。ベンチ前の円陣の際、ベンチに座って出てこない等々、石川の振る舞いに中畑監督が激怒したという報道も流れた。そうした態度が問題視され、2軍に落とされたこともあった。
「確かに中畑さんとは、お互いに熱くなって衝突したこともありました。でも、あそこまでいろいろと話をさせてもらった監督はいなかったです。調子が悪い時、中畑さんの部屋に呼ばれてバッティングの話をしながらスウィングしたのは今でもよい思い出ですし、本音を言い合えたのは中畑さんだけだった。僕は、中畑さんにすごくいい経験をさせてもらったので感謝しています」
引退する時、中畑監督の自宅に挨拶をしにいった。横浜スタジアムで解説の仕事で会うと気軽に挨拶して、談笑もできている。
「中畑監督は、僕を変えてくれた人ですから」
石川は、少し照れた表情を浮かべて、そういった。
2021年3月21日に正式に引退を決めた後、石川は解説者、もしくはコーチ職という引退した選手の王道を歩むのではなく、異例の道を選択した。アメリカンフットボールという新たな舞台で選手としてプレーすることを決めたのである。
しかし、元プロ野球選手が、なぜアメフトだったのだろうか。
「横浜高校にアメフト部があって、僕の同級生がプレーしていて、試合を初めて見に行った時、かっこいいなって思って、憧れのイメージがずっとあったんです。プロ野球に入ってからもアメリカのNFLはよく見ていました。自主トレでよくアメリカに行っていたんですけど、そのジムにNFLのアメフトの選手が来ていたんです。トレーニングを間近で見る機会もありましたし、やっぱりすごくかっこいいんですよ。そこで影響を受けた部分もあったと思います」
6月にノジマ相模原ライズに入団し、下旬にチームに合流した。
それから2か月ちょっとでXリーグの開幕ゲームにワイドレシーバーとして出場。すると24ヤードのパスをキャッチし、それが終了間際のタッチダウンにつながった。デビュー戦で見せた「ナイスプレー」だったが、ロングパスをキャッチするのは、野球の経験が活きたという。
「ロングパスは野球でいうフライを取る感覚に似ているので、落下点にすばやく入るのにすごく役立っています。逆に近い距離だと速いパスが振り向きざまに飛んでくるので、そのほうがキャッチするのが難しいですね」
キャッチをする際、つい野球をやっていた時のクセが出ることもある。
「グローブではなく、自分の手でキャッチをしないといけないので、最初はなかなか慣れなかったですね。あと、野球では左手にグローブをつけてボールを取っていたので、ボールを取る際、左手が先に出てしまうことがあるんです。コーチには両手でしっかり取るようにと言われて、意識はしているんですが、クセなのか、左手が先に出てしまって......。まだ、基本もしみついていないですが、これから頑張っていくしかないと思っています」
ゲームに出て、戦うために体も整えている。プロ野球時代は、77キロがベストウエイトだったが、今は81キロまで増えた。コンタクトスポーツゆえに筋肉の鎧は欠かせず、最終的には約10キロ、約87キロぐらいまで増やしていきたいと言う。
「野球と違ってコンタクトスポーツなので、体が当たることに最初は怖さも少しありましたけど、ゲームでは怖さをそれほど感じませんでした。練習の翌日、朝起きた時に、あれ体が痛いなっていうのもありますけど、それも徐々に慣れてくるのかなと思います」
まだ、アメフトを始めて数か月だ。ボールキャッチやフィジカルコンタクトに慣れ、戦術も頭に入れていかなければならない。「課題ばかりでやることが多い」と苦笑するが、どこか楽しそうだ。
「早くみんなに追いつきたいですね。チームの目標が日本一なので、そのためにちょっとでも力になれればと思っています」
アメフトは野球のように毎日試合があるわけではなく、基本的に2週間に一度、土日の開催だ。練習も土日が主で月曜日から金曜日、多くのチームメイトは仕事をしており、石川はその時間をウエイトトレーニングなど体作りにあてている。夜は、解説者として、横浜スタジアムに行くことが多い。野球界に戻ることについては、どう考えているのだろうか。
「いつかコーチとかそういう話がくればうれしいですけど、それは僕が決めることじゃないですからね。今は、アメフトを始めたばかりですし、この世界で努力していきたい。とにかく、アメフトでうまくなりたいですね」
ベイスターズ時代、俊足とアジリティを活かした攻守でファンを魅了した。アメフトの舞台でもルーキーながらスーパーキャッチやタッチダウンなどでライズのファン、そしてベイスターズファンの度肝を抜く活躍を見せてくれるだろう。その姿は、アスリートが新たな道を開く勇気にもなるはずだ。
佐藤俊●文 text by Sato Shun
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新境地で不安の中、横浜高校、ベイスターズで結果を出してきた石川雄洋選手。
新たな挑戦で、アメフトでも結果を出してくれると期待しています!
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プロ野球選手からアメフト選手へ転身。元ベイスターズ石川雄洋「憧れのイメージがずっとあった」
9/19(日) 16:00配信 webスポルティーバ
「デビュー戦は、ドキドキしました」
元横浜DeNAベイスターズの石川雄洋(35歳)は、そう言って笑顔を見せた。
9月4日のアメリカンフットボールXリーグ、富士通フロンティアーズ戦との開幕戦、石川はノジマ相模原ライズのワイドレシーバーとして出場。ロングパスをキャッチするなど、堂々としたプレーでデビュー戦を飾った。スタンドにはベイスターズのユニフォームを着たファンが駆けつけ、ツイッター上では #石川雄洋 でプレーの様子などがツイートされ、デビュー戦を盛り上げた。
アメフトに挑戦する他競技のトップアスリートは、元横綱の花田勝さん(オンワードスカイラークス)、元ラグビー日本代表の山田章仁さん(相模原ライズ)などの例があるが、元プロ野球選手は初の事例である。横浜DeNAベイスターズで16年間プレーし、キャプテンまで務めた石川は、なぜアメフトに転向したのだろうか――。
アメフトの世界でプレーし始めた石川は、野球歴でいうとエリートである。
高校野球は名門・横浜高校の出身で、同期には涌井秀章投手(東北楽天ゴールデンイーグルス)らがいる。静岡で野球をしていた石川は当初、異なる高校への進学を考えていたが急遽なくなり、横浜への進学が決まった。入学すると各中学校でお山の大将みたいな選手がゴロゴロいた。
「同級生のメンバーを見た時、涌井を始め、全国で活躍している選手、静岡の田舎で野球をしていた僕でもわかるような有名な選手がたくさんいました。その中でどれだけできるか、3年間、やっていけるのか。不安な気持ちのほうが大きかったです」
寮生活を送りながら「レギュラーになりたい」「甲子園に行きたい」という思いを持って必死に努力した。そうして高2の時には第75回選抜大会で甲子園に出場し、準優勝したが個人的には結果を残せなかった。続く高3の夏の甲子園では準々決勝で、当大会で優勝した駒大苫小牧に敗れたが、石川は14打数10安打と打ちまくり、大活躍をして注目を浴びた。
「春が全然打てなくて、その悔しさがずっとあって、最後の夏に挽回するチャンスをもらえたので、気合いが入っていました。まさか、あんなに打てると思っていなかったので驚きましたね。かなり出来すぎでした(笑)」
夏の甲子園での活躍は、ドラフトに多分に影響を及ぼす。
俊足で非常にシャープな振りをした石川に、ある球団のスカウトの目が留まった。そして、そのシーズンのドラフトでベイスターズに6位で指名されたのである。
「うれしかったですね。ただ、その反面、夏の甲子園で打ちましたけど正直、プロで通用するのかなって思いました。僕はけっこう現実を見るタイプなんですよ。プロは厳しい世界ですし、活躍したいと思っていましたけど、どれだけできるかわからない。横浜高校に入る時と同じで、不安のほうが大きかったです」
ベイスターズに入団し、覚悟はしていたが、やはりプロ野球はすぐに活躍できるほど簡単なところではなかった。4年目のシーズン、ようやくショートのレギュラーを掴むことができた。
「自分の中では4年間を一応目安に考えていました。入団時は毎日試合を戦う体力もないし、走攻守すべて課題があったので、1日1日を無駄にしないように努力してきました。4年を経過すると大卒の選手が即戦力で入ってくるんですけど、同年齢じゃないですか。僕は先にプロを経験しているので、同年齢の大卒には負けたくないというライバル心が強かったですし、4年でダメならという思いもあったのでレギュラーになれたのは大きかったです」
レギュラーを任された石川はチームの主力選手へと成長していった。そして2012年、横浜がDeNAベイスターズに変更になった最初のシーズン、石川はキャプテンになった。それは当時の中畑清監督に指名されたのではなく、新沼慎二や森本稀哲、渡辺直人ら選手が石川を推して決まったものだった。
「僕はキャプテンタイプじゃないですし、なかにはお前がやるのかよって思った人もいたと思います。それに先輩が多いなか、自分がやってもいいのかっていう思いもありましたので、1週間ぐらい断っていたんです。でも、先輩のみなさんに『チームを強くするためにお前は何かを持っている。お前がしっかりすればお前自身のためになるし、チームのためにもなる』と言われて......。僕はやるからには中途半端にやりたくなかった。自由にやらせてもらえるとのことでしたし、『サポートするから』と先輩に言われて、ようやく決心することができました」
キャプテンになったがクールな姿勢を貫く石川は、たびたび中畑監督と衝突した。ベンチ前の円陣の際、ベンチに座って出てこない等々、石川の振る舞いに中畑監督が激怒したという報道も流れた。そうした態度が問題視され、2軍に落とされたこともあった。
「確かに中畑さんとは、お互いに熱くなって衝突したこともありました。でも、あそこまでいろいろと話をさせてもらった監督はいなかったです。調子が悪い時、中畑さんの部屋に呼ばれてバッティングの話をしながらスウィングしたのは今でもよい思い出ですし、本音を言い合えたのは中畑さんだけだった。僕は、中畑さんにすごくいい経験をさせてもらったので感謝しています」
引退する時、中畑監督の自宅に挨拶をしにいった。横浜スタジアムで解説の仕事で会うと気軽に挨拶して、談笑もできている。
「中畑監督は、僕を変えてくれた人ですから」
石川は、少し照れた表情を浮かべて、そういった。
2021年3月21日に正式に引退を決めた後、石川は解説者、もしくはコーチ職という引退した選手の王道を歩むのではなく、異例の道を選択した。アメリカンフットボールという新たな舞台で選手としてプレーすることを決めたのである。
しかし、元プロ野球選手が、なぜアメフトだったのだろうか。
「横浜高校にアメフト部があって、僕の同級生がプレーしていて、試合を初めて見に行った時、かっこいいなって思って、憧れのイメージがずっとあったんです。プロ野球に入ってからもアメリカのNFLはよく見ていました。自主トレでよくアメリカに行っていたんですけど、そのジムにNFLのアメフトの選手が来ていたんです。トレーニングを間近で見る機会もありましたし、やっぱりすごくかっこいいんですよ。そこで影響を受けた部分もあったと思います」
6月にノジマ相模原ライズに入団し、下旬にチームに合流した。
それから2か月ちょっとでXリーグの開幕ゲームにワイドレシーバーとして出場。すると24ヤードのパスをキャッチし、それが終了間際のタッチダウンにつながった。デビュー戦で見せた「ナイスプレー」だったが、ロングパスをキャッチするのは、野球の経験が活きたという。
「ロングパスは野球でいうフライを取る感覚に似ているので、落下点にすばやく入るのにすごく役立っています。逆に近い距離だと速いパスが振り向きざまに飛んでくるので、そのほうがキャッチするのが難しいですね」
キャッチをする際、つい野球をやっていた時のクセが出ることもある。
「グローブではなく、自分の手でキャッチをしないといけないので、最初はなかなか慣れなかったですね。あと、野球では左手にグローブをつけてボールを取っていたので、ボールを取る際、左手が先に出てしまうことがあるんです。コーチには両手でしっかり取るようにと言われて、意識はしているんですが、クセなのか、左手が先に出てしまって......。まだ、基本もしみついていないですが、これから頑張っていくしかないと思っています」
ゲームに出て、戦うために体も整えている。プロ野球時代は、77キロがベストウエイトだったが、今は81キロまで増えた。コンタクトスポーツゆえに筋肉の鎧は欠かせず、最終的には約10キロ、約87キロぐらいまで増やしていきたいと言う。
「野球と違ってコンタクトスポーツなので、体が当たることに最初は怖さも少しありましたけど、ゲームでは怖さをそれほど感じませんでした。練習の翌日、朝起きた時に、あれ体が痛いなっていうのもありますけど、それも徐々に慣れてくるのかなと思います」
まだ、アメフトを始めて数か月だ。ボールキャッチやフィジカルコンタクトに慣れ、戦術も頭に入れていかなければならない。「課題ばかりでやることが多い」と苦笑するが、どこか楽しそうだ。
「早くみんなに追いつきたいですね。チームの目標が日本一なので、そのためにちょっとでも力になれればと思っています」
アメフトは野球のように毎日試合があるわけではなく、基本的に2週間に一度、土日の開催だ。練習も土日が主で月曜日から金曜日、多くのチームメイトは仕事をしており、石川はその時間をウエイトトレーニングなど体作りにあてている。夜は、解説者として、横浜スタジアムに行くことが多い。野球界に戻ることについては、どう考えているのだろうか。
「いつかコーチとかそういう話がくればうれしいですけど、それは僕が決めることじゃないですからね。今は、アメフトを始めたばかりですし、この世界で努力していきたい。とにかく、アメフトでうまくなりたいですね」
ベイスターズ時代、俊足とアジリティを活かした攻守でファンを魅了した。アメフトの舞台でもルーキーながらスーパーキャッチやタッチダウンなどでライズのファン、そしてベイスターズファンの度肝を抜く活躍を見せてくれるだろう。その姿は、アスリートが新たな道を開く勇気にもなるはずだ。
佐藤俊●文 text by Sato Shun
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新境地で不安の中、横浜高校、ベイスターズで結果を出してきた石川雄洋選手。
新たな挑戦で、アメフトでも結果を出してくれると期待しています!
Posted by 清水町議会議員 松浦俊介 at 09:18
│町出身著名人