2012年12月21日

選挙の応援(4)

翌朝は、8時前に選挙事務所に着き、
那覇市議会議員の仲松氏や亀島氏とご挨拶をし、
仲松氏からはいろいろな話を聴く。

11月に那覇市長選挙があり、
落ち着く間もなく衆議院議員選挙となってしまった。

選挙区が離島などもあり、
相手候補はヘリを使って遊説をしたり、
選挙戦の終盤は三日戦争といわれ、
運動員を延々と国道の両脇にのぼりを持って立たせるなど
熾烈を極めるという。

相手候補は、町中に事務所を借り上げ、
使ってもいないで外に向かってポスターを張りまくるなどして
宣伝している。

そもそも変な光景で
沖縄では町中に候補者の名前入りのノボリや看板が立っている。
しかも私有地だけでなく、街路樹や歩道橋など公道にも立っている。
選挙の応援(4)
こんな光景見たことない。

昨日も下地候補のノボリが立っている交差点で
街頭演説をしていた。

遊説隊が候補者名入りのノボリを使うことは禁止されているから
私も過去にやったが、
通常は「本人」とか、
もしくは政党名を表示したノボリを使うなどして
やったりしているけど
沖縄は問題ないようである。

午前中、8時半に朝礼が始まり、
神棚へ二礼二拍手一礼。

各部署から報告の後、
選対本部事務総長の方から
選挙戦が陣営に有利との報道から気が緩んでいるとの指摘がなされ、
油断しないよう気を引きしめて期日前投票の催促を電話作戦など
行っていただくよう話がある。

また、本人から、
まだ、挨拶が来ていないから投票しないとの話も聞くので
眠っている票を掘り起こして頑張ってもらいたいとの話がある。

國場さんとは、この日はこの朝礼で別れた。

私は加藤さんと那覇の副都心、
メインプレイスまでノボリを持って歩いていく。

途中、坂道を上っていたら、
前方から見慣れたオレンジのノボリを付けた自転車が
降りてきた。

よく見たら下地候補だった。
大臣が自転車乗って遊説活動していた。

大臣が地方議員の新人候補みたいな選挙戦をしていて
目が点になった。
選挙の応援(4)
メインプレイスの交差点に着くと
國場さんのノボリを立てて
「國場幸之助よろしくお願いします!」と
手を振って訴えかけた。

まだ、朝早いせいか人もまばらだが、
10時を過ぎると人や交通量が激しくなった。

クルマからは何人も手を振る人がいて
通行人からも声をかけられた。
「しも○には負けるなよ!」
静岡から来た自分が、
沖縄の人に激励されてなんか不思議な気分である。

昼に選挙事務所に戻って昼食を食べていると
市議の仲松さんから
事務所中央の机にいた那覇市長を紹介してくれた。

那覇市長は國場選対の選対本部長だった。

那覇市長の翁長雄志(おながたけし)氏に
「静岡から國場さんの応援に来ました松浦といいます」
と話すと、
「沖縄に来たら『ハイサイ』(こんにちは)と
『ニフェーデービル』(ありがとうございます)を覚えて帰ってください」

とウチナーグチのあいさつを教えてくれた。

前日の琉球新報ではないが、
那覇市が、
ウチナーグチを推進していて
市長自ら積極的に取り組んでいることを身を持って体験した。

2年半前に、遺骨収集に沖縄に来たとき、
遺骨収集を半世紀も続けている
国吉さんが地元の年配の男性と話をしていたのを聞いたけど
まったく理解できなかった。

ウチナーグチで話されると本土の人間はもちろんだが、
今の沖縄の若い人もほとんどわからないという。

沖縄でも地方で3世代家族とかは、
若い人でもわかるかもしれないが、
都市部で核家族になってくると
もうウチナーグチがわからないという。

那覇市がウチナーグチに力を入れるのは、
県下の自治体の中でもそうした危機感があるからなのかもしれない。

沖縄に限らず全国的に方言が
若い人に伝わりにくくなってきていると思われる。

歴史の縦軸の重要性を考えれば、
地域文化の根源的な要素である方言は、
どこの自治体もしっかりと後世に伝えていく施策がますます重要になってくる。

午後は、選挙カーに乗って那覇市中を駆け回り、
窓から対向車や住宅に向かって
「國場幸之助よろしくお願いします!」と必死に訴えた。

夕方は、またメインプレイスの前で街頭演説を行った。

私は、夜の飛行機に乗るため、
街頭演説後、國場さんの奥さんと
一緒に行動していた加藤沼津市議に挨拶をして別れ、
選挙事務所に寄り
選対本部事務総長の安慶田さんに挨拶、
事務所の皆さん拍手で送ってくれ、
仲松市議が見送ってくれた。

沖縄の人たちは、
空気も人もとても暖かく気持ちよかった。

飛行機は、羽田空港の滑走路に問題が生じたとのことで
相模湾上空で1回転し20分くらい遅れて着いた。

たまたま飛行機は左側の窓際の席になったが、
那覇空港離陸後、1時間半くらいして遠くに夜景が見えるなと思ったら
突然、右手からまばゆい夜景の海岸線が縦に見えた。

見覚えのある地形だなと思ったら
遠州灘だった。

御前崎付近を通過してから飛行機は右に旋回し、
駿河湾上空から伊豆半島の方へ向かった。

静岡市街、富士市街、沼津から三島市街と
きれいな夜景を見ていたら、
熱海付近で丸い円形の夜景が見えた。

「あれ?観覧車がある?」と思ったら、
観覧車が消えて花火であることに気が付いた。

羽田に着いたら
那覇との気温差10度で7度だった。

(おしまい)



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Posted by 清水町議会議員 松浦俊介 at 18:30 │日記

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