<ミネタ元米運輸長官>死去90歳 日系初の閣僚、強制収容所経験

清水町議会議員 松浦俊介

2022年05月04日 14:49

下記、共同通信

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ミネタ元米運輸長官死去、90歳 日系初の閣僚、強制収容所経験
5/4(水) 5:24配信 共同通信

 【ワシントン共同】ノーマン・ミネタ元米運輸長官が3日、心臓病のために東部メリーランド州の自宅で死去した。90歳だった。ミネタ氏の元補佐官が明らかにした。日系初の米閣僚としてクリントン民主党政権下の2000~01年に商務長官、ブッシュ(子)共和党政権下の01~06年に運輸長官を務めた。

 第2次大戦中に「敵性外国人」として両親と共に西部ワイオミング州の強制収容所に連行された。1975年からの約20年の民主党下院議員時代、強制収容された日系人に対する謝罪と補償を米政府に求め続け、88年の「市民の自由法(強制収容補償法)」の成立に尽力した。

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ミネタ氏の父親は、清水町久米田出身。
父親の故郷いうことで清水町にも何度も表敬訪問され、
私も議会一般質問で町制50周年で記念講演をしていただいたらと提案したことがある。

これまでのご功績に敬意を表するとともに
ご冥福をお祈り申し上げます。

下記、2012年9月一般質問一部抜粋

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ノーマン・ヨシオ・ミネタ氏の略歴は、1931年11月2日生。
明治35年に14歳で渡米した当時の清水村久米田出身の父・国作と三島町出身の母・かね(旧姓:渡邊)のもと、カリフォルニア州サンノゼで2男3女の末っ子として生まれる。

1953年、カリフォルニア大学バークレー校ビジネススクール学士課程を卒業。この年米陸軍に入り、日本や韓国で情報将校を務める。その後、父親の経営するミネタ保険会社に勤め、1967年サンノゼ市会議員に当選した。

1971年にはハワイを除く米本土では日系人として初めて、大都市サンノゼ市長に当選。1974年にはやはり米本土では初めて米国下院議員に当選した。1995年まで20年以上にわたって下院議員を務め、その間大部分は運輸委員会に所属した。

その後、ロッキード・マーティン社副社長を経て、2000年から2001年までビル・クリントン政権で商務長官。2001年から2006年まで共和党のジョージ・W・ブッシュ政権でも運輸長官を務めた。2001年9月11日に発生した米国同時多発テロ事件では、米国史上初めて全民間航空機の緊急着陸を命令した。

2001年11月、ミネタの地元のサンノゼ国際空港は、ミネタの長年の功績を顕彰して、同空港の正式名を「ノーマン・Y・ミネタ・サンノゼ国際空港」と改称した。

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