「条里制と用水」(議会だより~そこんとこ教えて!!)

清水町議会議員 松浦俊介

2009年02月11日 15:45

今月上旬に全戸配布された議会だより142号の
最終面「そこんとこ教えて!!」のコーナーで取り上げた
「条里制と用水」を掲載。
http://www.kakitagawa.tv/shimizu-t/kurashi/gikai/dayori/142.pdf

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(町民)
清水町は、きれいに区画された田畑が多いよね?

(議員)
昔の条里制の名残だね。玉川・久米田・戸田・畑中・的場・堂庭・湯川で確認できます。現在の道路もこれに従っています。

(町民)
ほかの地区ではどうなの?

(議員)
少し不明瞭だけど新宿・伏見・八幡・長沢・柿田にも条里遺構が残っているよ。徳倉にも部分的に地割が存在していました。

(町民)
条里制ってどんな制度だっけ?

(議員)
 7世紀を中心として、奈良の中央政府が全国に実施した土地制度の一つです。奈良の大仏が完成した天平時代時は、清水町の条理は整備され、耕地は東西南北に走る区画に区切られ、碁盤の目のように条が割られました。
 久米田や戸田の字名の起源もこの条里制時代にさかのぼります。
 小字に坪や免がつく地名も条里制の名残です。
 清水町は、昔から穀倉地帯でした。

(町民)
田んぼにはたくさんの水が必要になるけど、どこから引いてきたのかな?

(議員)
箱根の芦ノ湖を水源とする箱根用水、三島の小浜池から引いた小浜用水、長泉町の本宿用水、長泉町竹原と清水町伏見との境にある小僧池用水、町内の丸池用水・柿田川、狩野川を渡した徳倉用水と江戸時代から近現代に至るまで、さまざまな方法で水を引いてきました。

(町民)
昔は水争いがすごかったんだよね?

(議員)
農業が基盤だった昔は、水の一滴が血の一滴と言われ、水不足などを契機に近隣の集落が水をめぐって紛議などを起こしていました。でもそうした中で、協同協力、相互扶助の意識も高揚していきました。

(町民)
条里制が整備された1300年前の都市計画が今の清水町にも受け継がれているなんてすごいね?

(議員)
 水争いをしていた時代とは大きく変わりましたが、先人たちの苦労と共助の心は忘れないでいたいですね。

【参考資料】
 清水町用水史
 清水町史

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